2026年04月28日
中小企業において事業承継は、企業経営における最重要課題の一つです。
この点は現代に限らず、戦国大名の領国経営においても同様であったといえます。
むしろ、大名同士の競争が極めて激しかった戦国時代においては、承継の巧拙が組織の存亡を左右しました。
例えば、織田信長は、本能寺の変により急死し、その際、嫡男の織田信忠も同時に討たれました。
信長・信忠を失った織田家の後継体制は整わず、信長の政権は、最終的に秀吉が実権を握ることになりました。
その秀吉も、後継問題で大きな誤りを犯しました。
晩年に得た嫡子の秀頼への承継へ執心する余り、後継者に指名していた甥の豊臣秀次を粛清しました。
秀頼を補佐し得た人材を自ら排斥したことにより、政権の不安定化・弱体化を招くことになり、
後の豊臣家滅亡の一因ともなりました。
また、武田信玄は、誰を跡継ぎとするか明確な承継体制を固めないまま病没しました。
後を継いだ勝頼は、家臣から偉大な先代と比較され続ける中で、無理な外征を重ね、
長篠の合戦での大敗を経て、最終的に武田家は滅亡に至ります。
上杉謙信も、後継者を定めないまま急死した結果、養子間で家督争いが発生し、
家中での武力衝突に至ったことにより、上杉氏の国力は大きく低下することとなりました。
これらに対し、事業承継を成功させたのが徳川家康です。
家康は、早期に後継者を徳川秀忠に定め、秀忠が、関ヶ原の合戦において主戦場に遅参するという大失態を犯した後も、
後継者としての位置づけを変えませんでした。
そして、家康は、征夷大将軍就任後わずか2年で将軍位を秀忠に譲り、秀忠の立場を確固たるものにしています。
その結果、当初は周囲から力量に懸念をもたれていた秀忠が、
江戸幕府の体制固めを行うという重要な歴史的役割を果たすに至ったのでした。
私は、徳川家康が、信長や秀吉、信玄や謙信の事業承継の失敗からよく学び、
それを自らの事業承継に活かしたのだと考えています。
中小企業の経営においても、徳川家康の事業承継を見習い、計画的かつ慎重な事業承継を行い、
世代と時代を超えた持続的発展を実現していくことが重要です。

西川 和志
税理士法人 森田経営
代表社員
昭和54年7月19日生
主な資格:税理士、弁護士